ヒマラヤ山脈
戦後29年目の1974年にある日本兵がフィリピンより帰国しました。その日本兵とは小野田中尉。彼の帰国の橋渡しとなったのが鈴木紀夫という無名の青年でした。
小野田さんがよく目撃される渓谷でキャンプを張って待ち続け、放浪癖のある若者が時代の寵児へと躍り出たのです。(以前、中村獅道:小野田、堺雅人:鈴木でドラマ化)
しかし、その後彼はヒマラヤの雪男探しで雪崩にあって命を落としています。
そんなことを「武田鉄也の今朝の三枚おろし」というラジオ番組で話していました。早速その夜「鈴木紀夫」で検索したら「残された山靴」という登山家の最後を描いた短編集がヒットしました。
知らなかったですね・・・有名な登山家がいかに山で遭難して命を落としていたのか・・
ヒマラヤ山脈・・・8000m以上の山はこの山脈にしかありません。全部で14峰。そしてこれらの14峰は数多くの登山家の命を奪ってきました。
本来、8000m以上の場所は人が生存できるところではありません。厳冬期になると零下50~60度、風速50m以上の激烈な環境だそうです。
ところで、調べていたらびっくりしました。エベレストは登山家の死体が所々にそのままになっているそうです。自分一人でも無事下りる事が危ぶまれるのに、死体を担いで降りる余裕はないのです。回収されていない遺体は120以上だとか・・・
ヒマラヤ山脈は魔の山脈なのでした・・・
1924年に遭難し1999年に発見されたイギリスの登山家ジョージマロリーの遺体だそうです。